基本コンセプト
「人にやさしく対話のある街」
コンセプトの趣旨
商店街活性化と街の賑わいの創出
商店街へのアクセスはこの地図をクリックしてください。紺屋町商店街は浜田城の城下町として発展してきたが、特に職人の町として古くは染織物の工場、店が多くあったといわれる。紺屋町の名前はそれが由来で、今でも紺屋町北通りに染物店が一店あり現在も営業している。 戦前は陸軍歩兵第21連隊が現在の浜田高校、浜田一中の場所にあり約2000人の兵隊がいたので、紺屋町、朝日町、新町の商店街は大変な賑わいだったそうである。
戦後しばらくは市内中心商店街の新町とともに繁華街として、土曜市、歳末セールなどは商店街の中は歩かれないくらい人出が多く大繁盛したそうである。
昭和47年、駅前に銀天街、一番街が誕生した。昭和57年、相生町に大型店ニチイ(現在のシティパルク)が出店した。これら大型店及び駅前商店街の出現によりお客の流れが変わり、それまでの中心商店街は苦境に立たされた。
昭和59年、県の指導により協同組合から振興組合へ組織変更し、事業の支援を受けやすい体制となった。
平成3年、高速浜田道が開通し更に人の流れが変わった。
平成5年、県の助成により「計画・策定事業」実施し消費者が商店街をどのようにみているか、またそれに対しどう対処すればよいかを検討した。
その結果、
- 紺屋町商店街の知名度が非常に低い
- 交通の便が悪く幹線道路より入りにくい
- 路面が悪く歩きづらい
- 街全体が暗く、店の雰囲気も暗い
- 各店の飾りつけ、商品構成、接客態度など反省点が多い
以上の点が判明した。
このような消費者からの厳しい指摘を受け、このとき商店街のコンセプトとして
「人にやさしい対話のある街」を決定し、以下の事に努めた。
- イベントを多数実施することにより商店街を知ってもらう
- 新町からも進入出来るようにする
- カラー塗装にして歩きやすくする
- 街路灯を取替え、、街を明るくする
- 各店は店内を明るくし、対応やサービスに気をつけ入りやすい店にする
以上を実施することにより紺屋町商店街の名前は徐々に市民に浸透することが出来た。近年は当商店街への出店希望者が多く、15年前には15店舗あった空き店舗が現在は2店舗までになった。現在の店舗数は事務所関係を合わせて40店である。

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